无原罪の圣母:教皇「マリアの『はい』に人间と神が出会う」
典礼暦で「无原罪の圣母マリア」の祭日を迎えた12月8日(日)午前、教皇フランシスコは、新たに叙任された21人の枢机卿らと共に、バチカンの圣ペトロ大圣堂でミサを捧げられた。
そして、正午には、お告げの祈りを圣ペトロ広场に集った巡礼者らと共に唱えられた。
祈りの前の説教で教皇は、ルカ福音书(1,26-38)の、天使からおとめマリアが神の子イエスの懐妊のお告げを受ける场面を観想された。
教皇の説教の要旨は次のとおり。
无原罪の圣母マリアの祭日、福音は人类の歴史上、最も重要な出来事、「受胎告知」の场面(ルカ1,26-38)を语っている。マリアが大天使ガブリエルのお告げに「はい」と答えたことが、神の御子イエスの受肉を可能にした。それは大きな惊きと感动をもたらすシーンである。なぜなら、いと高き、万能の主であられる神が、天使を介して、ナザレにいる一人のおとめと対话され、ご自分の救いの计画のための协力を求められているのである。
天の御父の指が人间の指と触れ合おうとする、ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂に描いたあのアダムの创造の场面のように、わたしたちの赎いのはじまりにおいても、おとめマリアが「はい」と言うあの祝福された瞬间に、人间と神とが出会うのである。
小さな辺境の村の一人の女性が、歴史の中心へと永远に召された。人类の运命は、おとめマリアの答えにかかっていた。人类は再び微笑み、希望することができるようになった。なぜなら、その运命は确かな手の中に置かれたからである。
大天使ガブリエルの挨拶にあるように、マリアは「恵まれた方」(ルカ1,28)、无原罪の方、神の御言叶に身も心ももって仕える方、常に主と共にいて、主に完全に信頼する方である。
マリアの中には、神の御旨に逆らういかなるものもなく、真理と爱を拒む何ものもない。これこそ代々に歌われるマリアの至福である。わたしたちも大いに祝おう。なぜなら、无原罪の御母は、わたしたちの救いであるイエスをもたらしてくださったからである。
この神秘を観想しながら、自问しよう。戦争に揺れ、所有と支配の欲にまみれたこの时代に、わたしはどこに希望を置こうとしているのか。力やお金や有力な友人の中にだろうか。それとも、神の无限のいつくしみの中にだろうか。メディアやインターネットの中をただようきらきらとした偽のモデルを前に、わたしはどこに自分の幸福を见つけようとしているだろうか。わたしの心の宝はどこにあるのだろうか。神はわたしを无偿で、先立って爱してくださり、回心のたびに赦してくださるという事実の中にだろうか。それとも、何が何でも自我と自分の欲望を通そうとの、思い违いの中にだろうか。
圣年の扉の开门が近づく中、心と精神の扉を、无原罪のマリアからお生まれになった主イエスに开こう。そして、主がわたしたちの人生の中に住まわれるよう、御母の取り継ぎを祈ろう。